権威ある人の意見を鵜呑みにしない

先日、上野国立科学博物館で開催中の「人体展」へ行ってきました。

音声ガイドを耳にしながら、まずは解剖学の歴史から。
いつもこの辺りは、サラサラ~っと聞き流してしまうタイプなのですが、その時はある言葉にハッとしました。

その言葉は、

「権威への従属を断ち切り自立して考えるという、意識の革命を起こしました」

解剖学者のアンドレアス・ヴェサリウスが、解剖を通じて学び、人々へ提唱してきたこと。

ヴェサリウスより遥か前、2世紀ローマ帝国時代に解剖学を創始したギリシア人の医師ガレノスがいます。

当時、ガレノスの描いた解剖学をもとに、人体の解剖が行われていましたが、実際の解剖と解剖学書には、大きなずれがありました。

なぜなら、ガレノスは人体ではなく動物の解剖に携わり、人体の解剖経験がなかったからです。

一方、ヴェサリウスが行っていた解剖は、浮浪者や奴隷を献体としていたことから、正常ではないという見方をしていたそうです。

ですが、のちに、その大きな間違いに気づき、「人体構造論・ファブリカ」を出版されます。

実にその間、1400年・・・・

どうしてそのようなことが、長い年月を経てまで気づかずに起こってしまったのか・・・

それは、ガレノスの弟子や後世の人々が、ガレノスを崇め、理論を盲信していたことから、疑いを持つこと、自分の見たことを信じることができなかったから。

だから、ヴェサリウスから、そのような意識改革が必要と痛感したのでしょう。

でも、この言葉、20世紀の今もなお、私たちにも同じことが言えます。

実は、透視を教えてくれたレバナも、同じようなこと言っていたのです。

「権威ある人の意見を鵜呑みにするな」と。

透視を学んだ学校は、透視のスキル云々より、「自由意思を取り戻すこと」「未来は、自分次第で創り変えることが出来ること」ということに、重きをおいていました。

ですから、例え透視が出来たとしても、支配や依存などによって、それらが実践できていないと卒業はできませんでした。

レバナのその言葉は卒業しても今なお、むしろ年数を重ねるたびに、その重みと深さを知り、わが身を振り返るきっかけになっています。

そんな時に耳にした、ヴェサリウスの言葉。

私自身も人体の解剖をしたとき、「見たものを信じ切ろう」と誓ったので、唸るしかなかったです。

そこでね、やっぱり改めて思うんです。

昨今、セッションを通じて、「自分で考える」という人と「与えられることを待つ」という人と、大きく分けて2つに分かれてきていると実感しています。

どちらが魂をより成長させるかは、言わずと知れていると思います^^

豊かな時代に生まれた私たちって、何でも不自由なく与えられて育てられています。
その反面、与えられすぎたことによって、考えることから遠ざかっています。

今行っている日常のほとんどが、なんらかしらの影響や習慣化の中から選りすぐっているだけで、自分で考えて行動していることって、実は僅かでしかないんですね。

それに、与えられる。って楽じゃないですか。
だから、与えられるのを待つ、欲しがる。

その楽って、何か?って言われると、やはり、「責任を負いたくない」ってところにたどり着くのかなと思うのです。

自分で考えて選ぶって、その時点で責任を取っているのだけど、結果のリスクをとりたくない。

「誰かの責任にするほうが楽」そんな意識が働くのかもしれません。

でも、それで本当に幸せになれるのでしょうか?

ヴェルサリウスの言葉は、意識を変えて行動していくことの大切さを、教えてくれてるように思います。

この絵、好きです(*ノωノ)

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