「癒し」と「治す」こと
金木犀が香る10月。
ボディワーカー仲間の小笠原和葉さん、
人文×ヒト×テクノロジーのあいだを探求中のフジムラヨシヒロさん、
神戸大学院心理学講師で臨床心理士の岡村心平さん、
が立ち上げた「臨床身体学」というラボのオープニングイベントの手伝いに押し掛けました。
(ラボは研究室とか教室、実験室という意味)
※臨床身体学の主な活動はこちらで募集しています。
https://clinical-somatology-lab.peatix.com/
それはそれは、私の世界観だけでは到底出会うことのない、その分野に長けている専門家、有識者、実践者などが集い、物凄く熱量のあるイベントでした。
手伝いながらも耳をダンボに、首をもたげるほど頷き、目玉が落ちそうなくらい驚くようなお話ばかりでした。
「臨床身体学」とは、身体を真ん中において、心理学や思想学、宗教、教育、文化、人類学、東洋・西洋医学、哲学、スピリチュアル、解剖、環境、社会など、私たちが生きることで関わっているあらゆる分野の語り合いと学びの場。
月に2回、その時々でテーマを決めて、その場に集まった人たちで、いろいろな角度から語らう待ち合わせ場所である『ゼミ』に参加しています。
(ゼミとはゼミナールの略で、特定のテーマに対して主体的に演習する場)
そして、そのゼミの帰りにカフェに立ち寄って、みんなでわちゃわちゃと喋る「臨床身体学カフェ」なるものが有志で開催されるようになって、そこへもお邪魔しています。
これまで、「オープニングイベントの振り返り」、「癒しと治すとは?」、「身体と教育」などのテーマについて語らいの時間に参加してきました。
そこで、私の頭の整理と記録のために、このブログというフィールドに残しておこうと思います。
なお、ゼミやカフェの中での個人的な経験や意見に関しての公開はありません。
あくまで私個人の考えであることをご理解ください。
また、音声配信でご視聴されたい方は、こちらからどうぞ^^
「癒し」と「治す」は『人をひとつの全体とすること』
今回は、「癒しと治す」について、気づいたこと、考えたことをつらつらと語らいます。
私が思う「癒し」と「治す」は、『人をひとつの全体とすること』です。
簡単にいうと、ボディ・マインド・スピリットの統合であり、心と身体が繋がりが良好であること。
癒すも治すも「目的」ではなく、心と身体が繋がり続けるプロセスの中で、絶え間なく循環している自然現象の「手段」のひとつ。
そして、癒しと治すのプロセスを経て、再接続された心と身体、宇宙とが一体となって、目の前にふんわりと立ち上がってきた新たな知覚を信頼しゆだね、その人がその人らしく、ご機嫌よく、さまざまな感情を味わえたら良いのではないかしら。
というのが、今の結論というか落としどころなのかなと。
「死は最大の癒し」
ここ数年、「癒し」ってなんだろうか?って再考することが増えたんですね。
当たり前のように、「癒し」という言葉を使ってセッションをしてきましたし、「癒された」と言われることの繰り返しです。
だけど、お互いが思っている「癒し」が共通していない、そもそも前提が違うことが多々ある。
人に触れれば触れるほどに、あらゆることに戸惑うことが増えてきたんですね〜。
常識や普通といった当たり前は覆されるし、人間の持つ無限の可能性に驚かされるばかりです。
そんな模索の中、私が最も尊敬する翻訳家でセラピストでもある吉福伸逸さんの書籍で、「死は最大の癒し」という言葉を見つけました。
それ以来、シンプルに「死は癒し」だと、心の奥底から深く納得し、今の私には最上級の言葉です。
もちろん、死を助長することではありません。
目の前に自死を選ぼうとする人がいたら、全力で止めます。
また戦争や災害で命を落とした人たちに対して、癒されたね。ということでは決してありません。
とても誤解を招く言葉でもありますが、そういったことではありません。
そうではなく、今生での肉体を持つことの苦しみから解放されるということです。
私たちは、水も甘いも清濁を飲み込んだ経験をするために、この世に肉体を創造しました。
死というのは、その活動のすべてが完了したわけですから、最大の癒しにつながる。という私なりの考えに合点がいくのです。
癒しは死である。という言葉を見つけたことで、無理に癒したり癒そうとしなくとも、その人が主体となって発動するものであり、最終的に人生には帳尻が合って、たくさんの経験の中で自然と癒されるのではないか?と考えるようになったのです。
「治す」は、身体の回復に使う言葉
また、「癒し」という言葉は、主に心の問題の回復に使う言葉であるのに対して、「治す」という言葉は、身体の回復に使う言葉ですね。
病気や怪我などになった時、傷が回復すること以外に、これまでの人生観、価値観、習慣、豊かさなど生き方そのものを見直すきっかけになることもあります。
軽い傷口や症状から、思いも寄らない精神的な深い部分に到達して、傷口が治ると同時に心が軽く癒されることもありますね。
反対に、心を癒すうちに、古い傷跡が疾患として現れて、共に治り癒されるという、相互作用も起きることもしばしば。
それだけ、私たちの中に、癒す力も治す力も備わっているわけです。
絶え間なく流れるその力を発揮するために、セラピーはもちろんのこと、瞑想や運動、食事や旅行などのあらゆる体験が必要になってくると思います。
治す、正すという行為は3次元?
と、ここまで書いて一晩眠らせていたら、朝、このようなメッセージが降りてきました。
『治す、正すという行為は3次元。
そこに執着していると、宇宙エネルギーが流れませんし受け取れません』
おっしゃる通りですね。としか言いようがないメッセージ笑
またこの辺りも、再考していきたいと思います。
たくさんの人の心が癒え、明るい未来へ
となんとも、中途半端な終わり方になってしまいましたが。。。笑
癒しも治すも、簡単に答えの出ることではないです。
癒しは〇〇、治すは〇〇。という固定観念にとらわれることなく、その時々に最善を尽くせば良いと思います。
そして、私たちが気づかぬうちに、傷が癒え、癒されていることもたくさんあると思います。
どうか、たくさんの人の心が癒え、明るい未来へと繋がっていけたらと願います。
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