「ありのまま」と「わがまま」の境界線を探る瞑想の実践

「ありのままの自分」という言葉を耳にする機会が増えてきました。その出どころは定かではありませんが、多くの人々の心に響く言葉になっているようです。

私たちは他者の影響を受けながら成長します。
特に、他人の機嫌や顔色を伺いながら生きることに慣れてしまうと、自分の望みを表現する経験が少ないまま大人になってしまうことがあります。そんな中で、ようやく自己表現ができるようになると、その喜びや解放感に一時的に満たされます。

しかし、「ありのままの自分」と「わがまま」は表裏一体の関係にあります。
その違いを理解するには、試行錯誤を重ねながら経験を積むしかありません。

ただし、自己表現の「快」だけに留まると、無意識のうちに他者をコントロールしようとしてしまう危険性があります。
自分の望みを表現する際、知らず知らずのうちに他者に期待や要求を押し付けてしまうこともあるのです。

日本人は特に、他者と異なる意見や考えを表明したり、議論したりする機会が少ない傾向にあります。
同調することで円滑な人間関係を保とうとする風潮があり、「違う」ことへの恐れや不安、「同じ」ことへの安心感が強いように感じます。

物事は往々にして複雑で、「共感」と「同調」、「愛」と「正義」、「素直」と「鵜呑み」など、相反する要素が混在しています。
これは陰と陽の原理のように、避けられないものです。
しかし、自分と向き合う時間を持つことで、無意識の行動に気づくことができます。その効果的な方法の一つが瞑想です。

もちろん、一人で気づける範囲には限界があります。
そのため、瞑想を習いながら、またセラピーを受けながら自己理解を深めていくことも大切です。

私自身も、自分の言動が「わがまま」なのではないかと振り返ることがあります。
時には、意識的に「わがままなお願い」として素直に他者に頼ることもあります。
そうやって、バランスを保つことも大切な自己理解の一つと言えます。

また、他者の無意識のコントロールに気づけるようになると、振り回されにくくなります。
気づいた上で対応するのと、気づかずに振り回されるのでは、その後の疲労感に大きな違いがあります。

相手の無意識なコントロールに適切に対応し、時にはノーと言えるようになります。
さらに、単に拒否するだけでなく、互いに満足できる代替案を提案することで、より良い解決策を見出すこともできるようになります。

このように、「ありのままの自分」と「わがまま」の違いを観察し、理解する力を身につけることは、より豊かな人間関係と自己実現につながるのです。

それにはやっぱり、私は瞑想が一番だと思います。私自身、瞑想を実践し続けて実感しています。
頭だけの瞑想ではなく、身体を所有しての瞑想ですと、より曖昧な境界線を認識できると思います。


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