臨床身体学クロッシング 身体知の交わるところ Vol.1「教育と身体」を振り返って:その2

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音声でお聞きになりたい方はこちらからどうぞ。
3部を一本で放送してます。

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「役に立つこと」について。

こんな私でも仕事上のコンサルタントを受けたことがある。

そこで決まって「サービスを受けると何に効果があるか?」をしつこく問われるw

「何に役に立つか」と買い手のメリットを問われるわけです。要するに買い手の心が動いて買いたい!と思うものを問われる。

私は、心と身体が繋がっている上でスピリチュアルティが発揮され幸せを自分で作っていけると考えているので、具体的な効果を明確にすることをとても難しいのです。

その幸せには苦労も痛みもセットでやってくるけど、求める人は一時的であれ苦を回避したいと願っているから。

また、ボディワークで歪みや痛みを取ることに特化するか?と言われると、それも違う。

歪みがあろうが痛みなどの症状があっても、そこに生命力が循環していたら良しというか、症状があってもその人が生き生きとはつらつとしていたらいいと思うけれど、コンサルが見ている世の中的には、歪みは悪と捉えていることが多いからそれも響きづらい。と言われてたり。

やりたくないけど仕方なく、効果をうたうような文言を出し始めると、そのように自分も染まっていってしまうことを恐れて、私はそれを選ばなかった。結果、売り上げには繋がりにくいというループにハマってる🤣

それだけ、世の中は「役に立つ」ことに対価を払って、なんらかの効果を得たいという心理が働いている。

これも資本主義が生み出した損得感情の産物だと思ってるけども。

そもそも、損得で幸せは測れないし、むしろ、負けるが勝ち。じゃないけど、測れないものの中に幸せがあることの方が多い。

あとは、個人による承認欲求的なものを「役に立つ」ことで埋めたいとかね。

話は変わりますが、

SNSでイスラム教かな?の方とご結婚された方が「祈りは何の役に立つのか?」みたいなことを問ていて。

祈りは役に立つかの問いは、ある意味究極かなと思ったのです。

私は上から「あなたの仕事は祈りです」と言われ続けているので、その気持ちがすごくわかる。

本当祈りって何なの?って思うし、もっと言えば、お金にならんよね?と上に楯突くこともあるw

もちろん返事は「祈りなさい」しかない!笑

そのやり取りから、役立つというより、それぞれには「役割」があって、それは場面場面によって変わっていくものだと考えるようになった。

もっというならば、そこにいるだけで何らかの見えないけれども誰しもが誰かの「役に立っている」のだと思う。

まだ続くなこれは。。。笑

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