絶望感も私の一部である
ふっと、絶望感に襲われることがある。
名付けて絶望ちゃん。
今の生活に不満があるわけでもないし、自分の取り扱いに悩むことはあるけど、自分の機嫌くらいはとれるようになっている。
将来の不安はあれど、それに振り回されることもあまりない。
もともと団体行動が苦手なので、友達と言える人の数は多くないけど、一緒に食事をしたり、今はSNSのお陰で近況をコメントやメールでやりとりしたり、孤独を好むけれども、決して孤独ではないのは、周りにいる人たちのお陰だと、心から感謝しています。
けれども、絶望ちゃんだけは消えることなく、ますます色濃くなっている。
遠くにいた絶望ちゃんが背あわせにいるようになって、ふっとした拍子にニョキっと、頭頂だけだったのが胸くらいまで存在感が増してきている感じ。
むしろ、出現した絶望ちゃんを拾い上げ、「なんであなたが顔を出すの?」と問いかけるくらい笑
その問いの答えは返ってこないのだけど。
そんな時に、見なきゃいいものを見ちゃって、5次元の理解だとすんなり飲み込めるのに、3次元になると、途端に感情が湧き出てきて苦しくなる。
その間がしんどいのかもしれないけど。
5次元の思考で救われることもあるけれど、生身の肉体を持っている以上、そうもいかない。となると、絶望ちゃんが出てくる笑
『水はあなたの年齢を知らず、あなたの努力だけを知っています』
水泳の動画と一緒に上がってたポストなんだけど、「水=体液」と言い換えると、私の努力や悲しみか喜びは、私しか知らないんだ。と思うと泣けてきてね。。。
当たり前のことなんだけど、当たり前のことだと終わらせずにいたいね。
気持ちは晴れないけど、ひとまず、泳ぎに行ってくる。
なんも考えずに、水にとけてこよう。
こういう時、なかなかとけないけど。
満月と夏至の影響もあるよね…
後日。。。
このポストを読んでくれた友達と、お互いの絶望ちゃんと共にお茶に行くことになりました。
絶望ちゃんが顔を出しているとき、
「夜のベランダには出ちゃいけない」という話しを聞いてすごく共感。
フッとした瞬間に肉体を離れそうになるから、電車を待つときは後ろにしたり、大好きな海に近づかないとか、プールで限界を超える息どめしないとか、日常に気を緩めないように自制している。
ことの大きさの違いはあれど,不条理な外的な要因からの絶望だってある。
けれども、どんな一面も私の一部には変わりない。
絶望ちゃんにあまのじゃくさんも加わり、賑やかなお茶タイムでした笑
あまのじゃくさんは、的を突くからオモロイ時間となりました♪

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