「信じる」は見守ること
自立させることが目的なら、信じることが手段なのだ。
心配の種がエラそうにいうことじゃないとおもうんだけど、解消させない心配ってじつは迷惑なんだよね。
心配ならば、まずは信じてあげればいいのに。
2017年末に余命3年の末期癌と宣告された写真家の幡野広志さんの言葉。
信じる。
って、簡単そうで簡単ではなくて、でも、その言葉の深さや趣を知ると、なんとも人間のユニークな部分を引き出してくれる言葉。
信じるって、「相手を信じる」「自分を信じる」と、パートナーシップには必要不可欠な心理状態のことだと認識してます。
「自分を信じる」も、自分自身とのパートナーシップ。
ここがね、希薄ですと、「信じてあげる」なんて、ついつい相手に求めちゃう。
自分のこと、「信じてあげる」なんて言いませんよね?
相手に敬意を払うのであれば、「信じる」というシンプルな言葉で終わります。
自分自身に敬意を払っていれば尚のこと。
かく云う私も、「信じてあげる」の言葉が、相手に負担をかけてしまうことが、全くわかりませんでした。
「こんなに信じてあげてるのに」って、直接的な相手にはとっても失礼なこと。
だって、「あなたのとこ信じられない」から「信じてあげてるのよ」って言っているのと一緒です。
先の秦野さんの「信じてあげればいいのに」は、第三者からの目線で使われてます。
例えば、私がパートナーのことで秦野さんに相談して、「そんなこと言ってないで、信じてあげればいいじゃん!」みたいな言葉の使い方ですね。
それを受け取った私は、「そっか!パートナーのことを信じよう!」に言葉が変わります。
だから、「信じてあげる」ではなく「信じる」の方が、愛情がうかがえ見守る態勢がるけど、「信じてあげる」になった途端、支配とコントロールに変わるのです。
または、「私のこと、信じてくれないの?」「あなたのこと信じてのに」なんて言葉も、支配とコントロール。
自分のことを信じて欲しければ、自分自身を信じれるように自分を癒すこと。
相手のこと信じたいのであれば、これまた同じく、自分を信じれるように癒すこと。
はい、大きな深呼吸をして、そんな自分にも相手に、同じく寄り添い見守ること。
私も、同じプロセスの道半ば。
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