アリゾナ解剖学実習~後記~健康って、生きるってなんだろう?
解剖学実習でのことを先に書くべきなのかもしれないけど、
帰国後の自分の変化を先に記しておこうかなと。
帰国後すぐに発熱しちゃった私は、5日ほど寝込みまして、朦朧とした意識の中で、生きるって何だろう?死って何だろう?健康ってなんだろう?とぼんやりと考えていたわけです。
なぜなら、風邪で寝込むこと、実に10年ぶりくらいでして。
身体に携わるものとしては、久しぶりに自分の身体でさまざまなことを体現できるので、ちょっと嬉しくもあり、でも、予約を変更のお願いは心が痛くて。
なんとも両極端の中に意識がぼんやりとありました。
ぼんやりしながら真っ先に思ったのが
「夫に美味しいご飯を食べてもらいたい」
そんな思いがぐわぁって上ってきました。
私にとっての、健康で生きているって、「愛する人に自分のできることをしてあげること。し続けること」なんだなと。
帰国後早々、寝込んじゃった罪悪感は全くないです。
ここは勘違いをしてもらいたくないので、あえて書いておきます。
本当に、純粋に「してあげたい」ことが「できない」というのが何とも悲しくて。
「ならば、しっかり寝て、回復を待とう!」と大人しくしていました。
そんな経験から、私たちが身体を持つ意味って「人を愛すること」なんだな~と。
ちょっと言葉にすると当たり前な感覚になるのだけど、ひとつ深いところでの理解が落とし込めた感覚です。
もちろん、様々なことを体験したり、経験を積んでいくことは魂の成長には不可欠なんだけれども、それ以上に、「人を愛すること」を学ぶために肉体をもったんだな~と実感します。
相手に条件を求めずに愛し続けるって、互いに成長していく中で、時々歯車が合わない時もあると思うのです。
意見の相違が生じたり、賛同してもらえなかったり、共感することが少なくなったり。
互いに歳を重ねていけば、どうしたって、あれれ?ってこともでてくる。
そこを、条件なく、丸っと受容する器を変化させ続けていくって、心も身体も精神(魂)も健康で生きてるからできることなのではないかしら?と思ったのです。
そんな気づきを確認させられるかのように、市から健康に関するアンケートが、無作為に選んだ住人の一人に選ばれて送られてきました。
なんというタイミングなのだろうwと、ニヤケてしまいましたが。
アンケートの中に「あなたにとっての健康とは何ですか?」という質問事項がありました。
15個ほどの回答の中に「人を愛することができること」と書かれていて、うなりました。
なぜなら、それまでの質問が、一昔前の考えというか古く感じたのです。
三食食べてますか?規則正しい生活をしていますか?とかね。
もちろんそれらも大事だけど、「三食食べる」ってことさえ、その人のその時のコンディションによるでしょ?って思うから。
他の回答には、「病気でないこと」など、身体の健康に対しての回答もありましたけど、「幸福なこと」「前向きに生きられること」「家庭円満であること」など、心の在り方についての回答が圧倒的に多かったのです。
「健康」といっても、それさえ、自分で選択できる時代。
解剖を通じて思う「健康」って、どんな健康法や方法論、考えにも「正解はない」ということ。
巧妙で一寸の狂いもなく創られている身体の内部を見ると、「これが正しい」という答えを出すことが、どんなに浅はかな行為なんだろう・・・と考えさせられるのです。
サイエンスが大いに役立つことも知っています。
けれども、サイエンスが進化しても、人の病気は減るどころか増えてますでしょ?
そこをどう捉えて、身体と向き合い、幸せを手にするか・・・
永遠のテーマになりそうです(^^;
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※写真は解剖学実習をしたラボの前。
青空を見上げながらお昼寝は最高でした^^