受け手が権利を持っているinバリ島③
「受け手が権利を持っている」
これはね、本当にそう思う。
意外と、セラピストも受け手の権利を知らず知らずに奪っているし、受け手は、無条件でセラピストに「権利」を明け渡している。
これは、セラピーに限らず、親子や上司、友人や恋人、あらゆる人間関係においてもね。
この状態では、どんなセラピーを受けても、受け手は一向に癒しや治療、解放へは向かわない。
実はこれを一番奪ってしまうのは、「知識」と「経験」だと思っています、私。
ここを緩めたら、ここの痛みが取れる。
ここが固まっているから、ここから緩める。
どんな図式であれ、セラピストが決めすぎてはダメ。
身体はいつでも間違わない。
痛みが悪いわけでもないし、固まっている必要もある。
要するに、身体がそうしたくてそうしている。
その声を無視して、セラピストの知識と経験だけで操作するようなことがあっては、いけないのです。
それに、受け手も「お金を払っているから」という理由もわかるのですが、セラピストの任せきりにならずに、自らも自分の自然治癒力や生命力に働きかける参加をしなくてはなりませぬ。
いわば、セラピーは共同作業で成り立っている。
これ、すべての人間関係でもそうでしょ?
人体の解剖をしていて、こんな完璧で崇高な人体に、他人の小賢しい小手先のテクニックや知識、経験では到底かなわない。と心底思ったから。
だから、もっと自分の身体と心の声を信じたらいい。
今までの施術の中でも、クライアントの身体に触れて、どこからスタートするかな。とその日の施術プランを立てるのだけど、こちらが優位に立ちすぎてしまった時など、あれ?違いわ。と途中でクライアントの生命力を見失う時があります。
最初は頃はそれにさえ気づけなかったけど、今は、すぐにはわかる。違うって。
で、気づいたら、軌道修正をして、触れさせていただいてます。
クライアントの声を聞いているつもりが、いつの間にか自分の声を聞いてしまっている時は、完全に受け手の権利を奪っているんですよね。
どこかで、「知識は自分を納得させるもの」と耳にしたことがあるけど、本当にそう思います。
もし、自分がクライアントの立場だったらと思うと、ゾッとします(笑)
この話を聞いた段階で、ここへ来てよかったな〜と満足してしまった。
じゃぁ、「私は何をしているの?」という聞かれることもある。
私は、クライアントが自ら見つけられない、本質を引き出すにしか過ぎません。
それをクライアントが自ら気が付くまで引き出し続けるだけです。
だから、私頼りにしていては、いつまでも見つけられないでしょう。
たとえ、私が見つけてこれよ。といったところで、クライアントが持ち続けないと、それもまた意味のないことになる。
だから、その人が諦めない限り、私も諦めないで引き出し続けます。
と、そんな話をクライアントさんとしていたら、別のクライアントさんから、「まさこさん、見っけ!」とこんなメッセージが送られてきた^^
この後、水着に着替えてプールへ。
アクアティックボディワーク「WATSU」のクラスが始まります。
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