バリ島リトリート改め『バリ島Pasraman〜パスラマン〜』
私にとってバリ島は、故郷でもあり、問いに対して簡単に見つけ出そうとする「問題解決型」の思考法で答えが見つかる場所ではなく、じっくりと考察して、身体にしみ込ませて、本当に望んでいることは何か?を問い続ける場所となっています。
ですので、行くたびに、自分の奥深くにあるものがガタガタと崩れ始め、崩れ落ちたものを、新たな視点や解釈でつなぎ合わせて考察して、、、を繰り返しています。
人間って、簡単に語れるほど単純な構造ではなく、清濁を飲み込んだ難解で複雑な構造をしていて、答えはひとつではないし、割り切れるような正しい答えなどないと思うのです。
なのに、人間の性で、分かったような素振りで、一つのことに囚われ、偏見を生み出します。
毎回「シャーマンのところへ何をしに行くのか?」と、いつも自分に問い続けながら訪問しています。
シャーマン修行とよく言われますけど、私自身、そのように思ったことは一度もなくてですね、どちらかというと「生活」に近いのです。
「祈りで始まり、祈りで終わる生活」を体験している感覚です。
このことをどう言った言葉で表現して良いのかわからなかったとき出会ったのが「人類学」でした。
私がシャーマンのところ、あるいはバリ島を訪れているのは人類学でいう「フィールドワーク」であり「参与観察」です。
私は研究者ではないので、データ化したりすることはないのですが、同じ視点に立って、土着した文化や習慣、宗教を理解しようという立場にいます。
そして、そこから自分の在り方や生き方を見直して、実生活を変えれるところは変えているし、考え方も随分と変わってきています。
その最も影響を受けた書籍が人類学者の奥野克巳さん著書の『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』
https://www.akishobo.com/book/detail.html?id=856
それから奥野克巳さんの書籍はもちろんのこと、講演なども拝聴しています。
『聞き流す、人類学。』というYouTubeも、大学の講義を聞いているかのような内容で、とても面白いので是非。
https://www.youtube.com/@kikinagas
人類学って、抜本的に在り方や生き方を問い直すには、最適な学問だと思っています。
自分の知らない土地や国の生活を見聞きして、外側から問い直すと、当たり前が当たり前ではないし、普通が普通ではないし、ゴロンとひっくり返されて、自分の頭で考えることができるようになると思います。
それと私たちは変化を望むわりに、変化することに恐れを多く抱きます。
当たり前を覆されることで、これまでの良しとしてきたことが否定されたと感じますから、抵抗が生まれます。
これは、意識するしないに関係なく起こる反応です。
その反応に、意識的に気づけるか、あるいは蓋をするかが分かれ道とでも言いますでしょうか。
心理学では、アイデンティティの崩壊とも言われる現象ですが、簡単に乗り切れるものではありません。
無意識にそのことをわかっているので、抵抗が生まれるのですが、まぁまぁややこしいです笑
そうした中で、これまで開催してきたバリ島リトリートの意義をもう一度問い直してみて、私が本当にしたいことは『リトリート』という休息や休暇という意味合いのものではなく、『パスラマン』というインドのアシュラム のような場所(言ったことないけどw)が近いです。
あえて不便な環境に身を置き、スマホや会話をせず、瞑想と食事、睡眠、運動に重きをおき、土着した宗教にふれ、もし可能であれば儀式に参列したり、儀式に必要な屠殺の場を経験し死生観を問い、純粋に死ぬことと生きることを見つめ直す場所を提供したいと考えるようになりました。
その名を『パスラマン』と言います。
パスラマンの言語の起源は、ジャワ語とバリ語のかけわせた造語で、インドの修行の場『アシュラム 』を意味します。
「修行」というと「苦行」に結びつける人も多いと思いますが、そうではなくて、私は、自分を防御したきた概念を削ぎ落とし、新たな人生設計を組み立て直すようなことを意味し、それを目指す場所の提供をしたいと考えています。
今年も10月にバリ島へ再訪しますので、どうぞ、ご自分の人生設計の組み立て直しをするべく、どのようなパスラマンにしたいのかご相談ください。
最大限、サポートさせていただきます。
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