心が揺さぶられるから「学ぶ」
先日、連続で受けていた講座と主宰していた講座をようやく終えました。
6回とはいえ、隔週に行われていたので、それなりにバタバタとしていました。
これまで、スピ系から心理学、ボディワークと、いろんなジャンルを並行して学び続けているのですが、その度に心を大きく揺さぶられます。
以前、「Unlearn=学びほぐし」について書いたことがあるので、こちらも合わせて読んでみてね。
「学ぶ」って、ちょっと知っていること、知らないことにプラスされるのではなくて、これまでの自分を揺さぶられて、崩されて、考え直していくことだなぁ〜とつくづく思うのです。
知らない言葉を知ることも、勘違いを露呈すること、「学ぶ」って、いわゆる「恥をかく」ことなんですよね。
それを思いっきり勘違いして、自分は変わらないで、都合の良いことだけを持ちかえろうとして、不満や不平を抱くというのは、そもそもの受ける姿勢というものを間違えていると思うのです。
大人になると、これまで培ってきた経験を否定されることに恐れを抱き、揺さぶられることに大きな抵抗をします。
そして、自分のその状況を受け入れられずに、正当化し正義感を盾に攻撃的になります。
また、出口のない答えを見出そうとすることを待てずに、苛立ちを剥き出しに、相手を問い詰めてみたり。
これまでは、精神性の未熟、幼さだと認識していましたが、「精神の貧困」「心の乏しさ」だと愕然とする場面に出会うことが増えたように感じています。
デジタル化が進むにつれ、知りたい情報を簡単に見聞きできる良い時代になりました。
その反面、書籍や新聞などの活字にしか見られなかった「行間を読む」という感性が失われているとも感じます。
そして、簡単に鵜呑みにしてしまい、情報通気取りで、情弱さを身につけてしまっています。
「答えを見出す力」とか、「探し続ける能力」ですとか、「考える力」とか、「問い続ける知性」ですとか、その辺りをどの程度携えているか、今一度、自分を省みたいもの。
この省みる行為、いわゆる「自己内省」が、健全に中立にできているかが、この情報社会に育み続けていくことが大切だと思いました。
何が言いたいかというと、揺さぶられる学びは、「成長が約束されている」ことなので、恐れず、真摯に向き合い続けること。
ということで、私も、この学びで絶望感と喪失感を味わっております笑
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