人は見たいようにしか見ない
あれこれ人の目を気にしても、人は見たいようにしか見ないんですよね。
自分の中に、誰かに認められたい。という欲求が過剰に発動して、その誰かという幻に認められるような行為や行動をしている時点で、自分を見失っているんですよね。
そんなことは、ケースバイケースで顔を出すわけで。
それに気づかないと、どんどん自分をどこかに置いてけぼりにしてしまいます。
バリへ行ってからというもの、南国の人のイメージが染み付いてしまったようで、見ず知らずに人に「サーフィンやられてるんですか?」と聞かれたり。
この日は南国風の洋服ではなく、珍しくカーゴパンツにセーターだったのだけどねw
以前より交流のあるセラピストさんに食事に誘われて行ったならば、「まさこさんは、視えたり聞こえたりするんですか?」と聞かれたりw
「ええ、それを生業にしております(笑)」と言っといた(笑)
椅子から転げ落ちそうだったわ(≧∀≦)
「バリ島に住まないの?」と聞かれたり。
↑
これは、本当によく聞かれるw
ちなみにバリは、3回しか行ったことないからねw
いくら自分がこうありたいとイメージしたり、他人の期待に沿うように努力をしたところで、人は見たいようにしか見ないわけですよ。
耳には入らないネガティブなことだって言われているだろうし(笑)
そういう時は、エネルギーが先に飛んでくるから、すぐにわかるけど、ああ、そうですか。って感じ。
それより飛んで来たエネルギーを中立にして返してあげるほど、優しいんだから(笑)
また、そんなこと一言も言ってないのに、その人の勝手な思い込みとユニークな妄想に位置づけていることに驚くけど、面倒臭いからイチイチ訂正もしない。
したところで、そういう人は、またユニークな妄想をするだけだし、その妄想劇に付き合うエネルギーが勿体無い(笑)
この仕事を始めた時、「ヒーリングはまさこさん」「悩んだ時の相談はまさこさん」と言われるようになりましょう的なことを言われました。
その方が、お仕事の依頼が来やすいですし、その先の信用も培われる。
なので、そうなるよう一生懸命に努力をしていた時もありました。
でもね、それに振り回されると、自分がやはりどこかへ行っちゃって、気がつくと自分じゃない自分を演じることに、ほとほと疲れちゃったんですよね、いつの日からか。
こんな私でも、褒められたり、期待をされるのはとてもありがたいことですし、素直に嬉しいです。
だけど、超野生的な感覚が発動すると、その賞賛や期待の背景を読み取っちゃうので、残念な気分になる時も多々ありました。
そしたら、もうどうでも良くなっちゃって、私は私で居続けようと。
私のことを、「自由で羨ましい」という人がいますが、そうですか?
私自身は、そうは思っていませんよ。
私にとって、肉体があること自体が自由ではないですし、時間の制限、お金の限界はあります。
それは、みんなも同じだと思うのです。
むしろ、平等に与えられている。
でもその中で、目の前に起こる選択肢の中からチョイスしているか否か。だけです。
その結果、上記のような印象を持たれるのだけど。
ありがたいことに勝手なその思い込みから、新たな自分を発見できるから面白いです。
それに、人をみる印象って、非常にうつろいやすく曖昧です。
自分に置き換えてもそうじゃありませんか?
自分の機嫌によって、他人をこういう人って判断したりと勝手なものです(笑)
そして、次の瞬間には、いい人。に変わっていたり。
だから、人の目を気にするくらいなら、自分の身なりや身体の状態、心のあり方を見続けた方が、よっぽど自分らしくいられていいですよ。
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