簡単で便利なこと、与えられることに慣れ過ぎない

昨今、知りたいことは何でも簡単に検索できるし、「簡単な答え」は見つけられます。

そのことによって、私たちはいろんな情報を見聞きするようになり、豊かになりました。

 

だけど、簡単便利に慣れ過ぎちゃって、答えを見つけたときの喜びが薄くなっているように思うのです。

 

それと、自分で知ろうとする努力もしない・・・

 

「簡単な答え」は、自身の経験ではないので、腑に落ちる度合いが全く異なります。
「わかったつもり」とでもいいましょうか。。。

 

それを、奇跡だとか、必然だとか、スピだとかに意図付けして舞い上がっていることも然り。

 

本当に腑に落ちたときって、言葉の説明がつかない超越したところにある。

 

知りたい「こと」にも、さまざまレイヤーが幾重にもある。

もちろん、その人の知りたいレイヤーによる。

 

だから、自分で知ろうという努力と、経験は必要なのです。

 

この仕事をしていて思うのは、表面的なレイヤー「わかったつもり」でいると、同じようなことを繰り返す傾向にあります。

 

スピな観点でいえば、今ここにいない、存在しない、自分を見失っている状態です。

 

その「わかったつもり」を、意識が変わった。レベルが上がった。とは、ちと違う。

 

調べること、知ることを、わかりやすく例えると、

他人の家に上がって、
あれこれ詮索(=検索)して、
他人の洋服(=知識)がよく見えて、
その洋服をそのまま着て(素直と鵜呑みをはき違える)、
私に似合っている=「わかったつもり」になる。

 

顕在意識では何となく良く感じても、潜在意識では「違う」を感じているから、また違う人の家に行って、あれこれ服を重ね着する。

 

ただ衣替えをして、重ね着をして、ますます自分を見失っていると気づかずに、この繰り返しを「ステージが上った」と喜んでいませんか?

 

それに、与える側も、自分の存在意義、嫌われたくないという承認欲求を抱えているので、そこでマッチングが起きていることに気がづかない。

 

それに、過剰に与えることで自分を満たし、愛されていると勘違いをする。。。

 

ステージが上がるって、他人から一時的にお借りしている洋服を脱ぎ捨てることにあります。

 

お借りしながら、自分で何を感じ、何を学んだかを理解して、自分に似合う服をしつらうこと。

 

借り物をいつまでも着続けて、「私らしくある」ことは不可能です。

 

私は、透視リーディングとクラニオボディワークをツールに、その借り物のお洋服を脱ぎ捨て、本来のあなたの姿に戻る手伝いをしています。

 

でも、昨今、脱がしても脱がしても、また、どこかから借り物を重ね着してきます。

 

本来、その借り物のお洋服を着せ替えると、あっという間に変化をする様をまざまざとみてきましたが、

外側へ情報を求めすぎているので、そう簡単ではなくなってきています。

もちろん、私の力量不足もあるかと思います。

 

だけど、ハイヤーセルフから言われた課題に取り組めばいいことだけなのに、より耳障りの良い情報、やりたいことだけを求めて、また他人の家に上がり込む。

 

もしくは、簡単に似合う服を見つけて欲しいと、結果だけを求め続けます。

 

本当に大事なことは、結果より、それに向かうプロセスにある。

 

もちろん、解決策を見つけるのは私の仕事ではありますが、あまりにも、与えられることに慣れて過ぎて、それが当たり前になってくると、自分で答えを出すことより、他人さまの言うことを鵜呑みにして、うま~く責任転換をして無責任になってはいませんか?

 

そりゃね、リーディングは人生を最短にする。と言われることもあるけれど、最短にしすぎて、何の学習もせずに、他人任せにするのとは違います。

 

何を叶えるために、何を感じ、何を思い、何をしていきますか?

 

一端、借り物の洋服を綺麗に脱いで、考え直しても、それに時間を費やしても、全然遠回りではないし間に合います。

 

むしろ、しっかりとした礎を築くことが出来ます。

 

見失ったままの自分に出来ることは、他人の人生を生きること。

 

さて、どうしますかね(^^♪

 

あれこれ頭で考えてばかりの癖の人とか、そんな癖にも気づいてない人は、バリ島リトリートへお出で下さいませ。

 

すべての答えは自分の中にある。

 

それを体現してより豊かな人生を歩むためには自分の感覚の精度を上げること。
そのために、クラニオを受けることをお勧めします。

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