忠誠心が制限を生む

情報社会そのものが「風の時代」の象徴ではあるのだけど、

カリスマ的な存在の人たちの発信を鵜呑みにしていると、そこで停滞してしまう傾向があります。

情報が嘘とか正しいとか、そういうことではなくてね。

日本人って、本当に権威ある人の言葉や数字に弱い。

カリスマ、人気、先生、先輩、上司、性別、年齢序列、経験者、肩書き、創始者、協会、予約がいっぱい、You tuber、再生回数、いいねの数、読者数、登録数、などなど、あげたらきりがないね笑

それがすべてだと思い込んでしまう習慣なのか文化なのかがある。

私にもある。

人気のケーキ屋さん!とか
予約で常にいっぱいです!とか
再生回数300万回!とか

に、ついつい踊らされちゃう笑

これは、これまで培ってきた教育の在り方の問題が大きのは周知のこと。

でも、わかっていながら、やってしまうのは、骨の髄まで染み込んでいて、それになかなか気づかないからたちが悪い。

もしくは、気づいていてもやめれない弱さみたいなものがある。

なのに、また何かを習慣化して得ようとするのは、どうなのかしら?という視点を持つことは大事だと思うのよ。

だから、私の講座やセッションでは、「ここで学ぶことは、ほんの一部にしかすぎないし、私の考えや意見が正しいとも限らない」ということは、常に言っています。

だけど、瞑想の習慣化は、ちょっと別よ。矛盾しているけど。

この忙しく騒がしい毎日の中に、心を静かにする時間を設けることは大切。

本来は、生活の中にある「静けさ」なのだけど、これが現代の生活にはなかなか見つけづらい。

だけど、その「静けさ」が身体に染みついている感覚があのであれば、そこから脱していいのではないかしら?と思うのです。

シーンと静まりかえった瞬間ていうのは、日常にあるのですから!

けれども、その瞬間を見つける体感覚、いわゆる「感じる力」が欠けているから、見つけられないだけ。

じゃ、身体感覚、体を優位にしていきましょう!といって、またメゾットや型にハマるというのは、むしろ、身体にとっては酷な行為になるし、感覚だって失われていく。

それならば、体を好きな曲にでも合わせて、自由に動かした方がいい。

だって、何でもかんでも、型にはめてたら、いつまでてたっても「自由」なんてのは訪れてこないよ。

そもそも、私たちは生き物であり動物。

常に緊張下にある現代社会においては、身体は強張り切っている。

そこに、こうしましょう!ああしましょう!は、より強張りを助長しかねない。

狩を終えた生き物は、体を震わせて、緊張や強張りを解放します。

人間は、その行為をしていないだけ。

だったら、それをすれば良いだけなのではないのかしら?

と、話は逸れたように見えるけど、実はつながっているから、際限なく続くのだけれども笑

もし、「自由」への行き詰まりを感じているのであれば、奥に仕舞い込んでいる「忠誠心」を見直すタイミングかもしれないです。

誰かの意見や考えを素直に聞きすぎてませんか?

自分の声を拾い上げてみてくださいね^^

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