しつこくでごめんだけど、臨床身体学の後記的の本当に最終話

ゼミで「場」についての話があった。

10年以上前に、ファシリテーションってなんぞや?と思って、講座を受けたことがある。

講師のファシリテーターの方が「僕は、何もしません。参加者の方々が作るもの」とおっしゃっていたことを思い出しました。

私の大好きな吉福さんも、WSでは何もしなかったらしい。(ホントにお会いしたかった)

これをきっかけに「学ぶ」は与えられることだとばかり思っていたことが、「自分から積極的に関わって学ぶ」にシフトしたように思います。

また、このことを思い出したことで、私はこの時から「何もしない」を無意識に探究しているのかもしれない。

話は変わりますが、これまで私が参加したセミナーで、外国人講師の方のいい意味での「ゆるさ」が衝撃的というか刺激になっています。

遅刻してくる講師、実習中にパソコンで何かを入力していたりアクセサリーを作っていたり、二日酔いで時間に来なかった講師もいたから笑

生徒がシェアをしている時、「話が長い」とものすごっく怪訝な表情をしていた講師もいて、真剣な生徒さんには申し訳ないけど、講師の表情は面白かったw

外国人を混ぜてのセミナーでは、寝そべってる人、あくびを隠さない人もいたりと、日本の学ぶ姿勢と全く異なっていたのも驚きだった。

でも、すごく自由というか、緊張せずにラフな感じで聞き入ることができたのは、講師自身がいい意味で自由だったからだと思う。

私は「場」を作ろうとする時、「丸く納めよう」「事を荒立てない」ような潜在意識が働く時がある。

作ろうとせず「起きたことに対処しよう」に意識を向けると、良い化学反応が起きるように思っていて、自分にも「揺さぶり」が起きて気づきの波が起きてくるように思っています。

ゼミやカフェでいつもご一緒させていただいているちえさんが、私が「ゼミで的外れな事を言ってしまう」というポストに、嬉しいコメントを入れてくれました。

これこそ「場」の力が起こした響き合いなんじゃないかと思いました。

もちろん、ファシリテーターの力量、センス、洞察力、気配りなどあってですけど。

だからこそ、ファシリテーターにおんぶに抱っこではなく、自らハートをオープンに参加していきたいなと思いました。

こんなこと言ってますが、実際は、人間に擬態して小鹿のように震えている時がほとんどですから🤣

ちえさん、コメントの公開の御承諾をありがとうございます。

そして、ゼミでご一緒してくださる皆様に、こんな私を許し受け入れてくださり、心より感謝申し上げます🙇‍♀️

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