「ワクワク」とか「好きなことだけする」の危険性と罠
「ワクワクすることをしよう。」
「好きなことだけをしよう。」
スピリチュアルでよく使われる言葉ですし、私もそのようにお伝えすることもあります。
もちろん、自身に置き換えても、そのような意識を持って取り組むこともございます。
だけど、いつの頃からか、この言葉に違和感と伝えたときの受け取る側とのズレを感じるようになり、あまり使わなくなりました。
もちろん、そのズレに関してもお伝えするのですが、、、
私の伝え方不足、勉強不足もありますが、なかなか伝わらない領域のことでもあったりします。
この2つの言葉をスピリチュアルな生き方だ!と思い込んでいる、まして、巷でこの言葉がキラキラと散りばめていると、人は弱いから心がそちらの方へ流れてしまう。
流れてしまうと、「それは違うんじゃないかな」といわれても、その言葉がまるで自分の人格を否定されたような錯覚に落ちるので、なかなか受け入れることができないものです。
まして、この言葉に流される多くの人は、大変失礼な言い方ですが、自尊心が低く、自分を見失っていて、必死に何者かになろうとこの言葉にすがっていたり、内観や瞑想が苦手な方。
かく言う私も、そう言う時を過ごしているので、とってもそのお気持ちがわかります。
中には、やりたいこと、好きなこと、ワクワクすることだけをした結果、散財してしまって、夫婦関係に亀裂が入ったと言うご相談を受けます。
もちろん、そもそも夫婦間に問題があるのであれば別ですが、自我(エゴ)のままに行動すればそのような結果を招かざるを得ないです。
それでも、そうしてでも、やりたいこと、好きなこと、ワクワクすることをしたいのであれば、それはもうご自由に。と言うことになりますが。。。
本当に自分のやりたいこと、心から望むこと、正直な気持ちに気づくには、まずは「おしゃべりな自分」を対峙することにあります。
それに、このおしゃべりな自分をハイヤーセルフと勘違いしている人も多いですが、全くの別物で、低次元のおしゃべりにしか過ぎません!
だから、身体と心の静けさを取り戻して、瞑想をすることは必須!
また、自分のエゴに気づき、そのエゴをやり切っちゃって、その先の健全さに気づいて修正すること。
エゴをやり切っても満たされない虚無感みたいなものに気づくはずです。
そもそもエゴだから、十分に満たされるどころか、枯渇感を生む。
少なくとも私は、このおしゃべりの自分の声の通りに行動することを、ワクワクすることをしよう。好きなことだけをしよう!と進めているわけではありません。
だから、瞑想してね。自己浄化をしてね。心と身体の静けさを知って欲しい。と言い続けていますし、そうなるようなセッションをご提供させていただいております。
だから私は、手厳しいことも言うし、嫌な役割を担うことも、それによって嫌われることも、非難批判を受けることは厭わないです。
「自分に正直に」とか「いいのよ、やりたければやって」などと、安易に言うセラピストやヒーラーには十分注意をしていただきたいのです。
この言葉は、一件、自尊心が満たされるし、承認欲求も満たされるし、なんとなく心地良くて、その心地よさにほだされるのだけど、本当の心地よさは、自分の内側にしかないです。
外側の甘い言葉の心地よさは、本当の心地よさではありません。
年末、ヒーラー仲間とこのことについて議論をしていて、どうにか、ワクワクに流されてしまった人たちを元の立ち位置に戻さなすことも必須だなと痛感したばかりでした。
その直後に、「ワクワクして何もしないで収入を増やしたい方法を教えてください」と言うなんとも胸の苦しくなるご相談がありました。
もちろん、どんなにハイヤーセルフの言葉を伝えても、聞く耳も持ちません。
ハイヤーセルフは、ワクワクだけを求めませんから。
その方、ご主人が自分の思い通りの人でなかったと離婚を決意し、小さなお子さんを抱えて、ワクワクだけでどのように生活をされていくのでしょうか。
(ちなみに、エネルギーレベルでは、ご主人に比はないようにお見受けしましたので、離婚はご主人様にとっては良いのかもしれませんが・・・)
他のサイトにて、やはり同じような状況下の方を見聞きしたばかりでしたので、非常に胸が痛くなりました。
時を同じくして、知人が「呪術さん」と言う方のツイッターをシェされていたので、こちらでご紹介させていただきます。
とてもわかりやすく解説されてます。
また同じ頃、いろんな体験を重ねられた結果、その背景にあるご自身の深い気持ち(エゴ)に気づいて、もがいてらっしゃる方のご相談を受けました。
そういった場面に出会ったら、一度立ち止まること。
それと、身体の強張りを緩めるボディワークをたくさん受けてください。
心と身体から、意識の変容をスムーズに乗りこなせるようになりますから。
身体の安心感を手にされると、外側、おしゃべりな自分に振り回されなくなりますから。
そんな私も、常にそのプロセスの道半ば。
いろんな感情やエゴに飲まれもがくこともありますし、そのしんどさにボロボロ泣くこともあります。
自己嫌悪に落ちることも、怒りもイライラもします。
だって、生身の人間で感情をたくさん経験するために、生かされてますから。
そんな時、瞑想もするし、プロの手を借りて、ヒーリングやボディワークを受けます。
だって、その方が回復が早いですし、何より自分を愛してますから。
下記、呪術さんのツイッターから引用しました。ご一読ください。
『オカルト側の人として子宮系やスピを見た時に、一番怖いと思うのは「自分の心に正直に好きなことだけをやる」っていう教え。
実際オカルトや神秘主義も「自分の心のままに生きろ」言うんですが、その前に「自分って何?」という探求と実践が入る。
理由は、その作業無しだとまず社会的に死ぬから。』
『例えばですね、5分でもいいから座って無になろうとすればいいんですわ。
試したらすぐわかりますが、できません。
ずっと頭の中で、断片的な思考やら本能的欲求なんやらを延々しゃべり続けてるやつがいるのに気づくはずです。
このよくしゃべるやつを、仮に「おしゃべりな自分」とします』
『普段考え事をしていると思っている状態は、この「おしゃべりな自分」が貴方に一方的に話しかけている状態です。
こいつは黙ってほしいと願っても黙らないです。
いわば自分の意志と違うことをする存在です。
こいつは貴方のようで貴方じゃないです。
記憶の言語化を繰り返すだけのマシーンです。』
『まずこいつを黙らせることが瞑想の入口なのですが、同時に普段自分だと思っている存在がどれだけあやふやで頼りない存在なのかを教えてくれる、最初の教師でもあります。
この「おしゃべりな自分」を黙らせた後にもまたいろんな自分が見つかり、そいつらの果てにいる本当の自己をわしらは探します。』
『そんで、玉ネギの皮を剥くように自己の本質に向かっていろんなものをはぎ取った末に、最後に残った(残るの?)真の自己との対話と一体化、そこから生まれる本質的自由、こいつがオカルトの窮極的目的の一つであると思ってます。』
『で、スピの人の言う「自分の心に正直に」行う行動は、そも自分が何かということに踏み込んでないので、第一関門「おしゃべりな自分」の言うことに盲目的に従う結果になります。
わしは真の自己の影も踏んでないので確信を持っては言えませんが、これがどれだけ危険かっちゅうのはわかります。』
『言ってしまえば、自己を手放してその場の衝動や低次の欲望に従うわけで、快楽的衝動で動く犯罪者と同じにメンタリティなるわけですので。
やがて社会的動物としての死が訪れます。
お金も無くなります。
無くなったら社会の中で稼ごうと、思えるのかどうか。社会もそれを許すのかどうか。』
『だから~経とか~の書みたいなもんは、修行してない人間には読ませるなよ、という大前提があるのです。
体験でしかわからない領域があり、それは知識とか思考では埋めることが出来んのです。
別に閉ざされてるわけではないです。
そこに触ろうと思うなら、手間を惜しむなってだけです。』
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