大切だと握りしめているものは、すべていらない。
ずっと大切だと疑わずに握りしめていたモノが、ざぁーっと手から離れていった年明け。
今なお、それは継続されていて、毎日修行僧のようです(笑)
何を手放したの?と問われるとすれば、「こだわり」一本勝負!(笑)
「こだわり」って、一種のステータスのような部分もあるし、とんがっている人ほどこだわりを持っていて、そこが突出して光っているから、才能があるようにカッコよく見える、、、だから、魅せかけだったりもする。
この世界に入って、そういうことを教えてくださった人もたくさんいましたし、私自身、それも大切なエッセンスと信じて、自分なりのこだわりの部分を持っていました。
まぁ、元来オタクな部分もあったから、必然的に持っていたけどw
でもね、アメリカへ人体の解剖学実習を体験して、「そんなこだわりって、生きているうえで何の意味のないこと」だと気がついちゃったら、さぁ、大変(笑)
ずっと大切だと思って築き上げてきたものが、一瞬にして水の泡となって消えた・・・。
あの時の喪失感たるものは、おしっこちびっちゃいそうなくらい。
いつもなら、その恐怖心を打ち消すかの勢いで、別の新しいもの見つけて積み上げるのだけど、何を築き上げていけばいいのかさえも分からないし、積み上げたくもない気持ちも合わさり、戸惑うばかり。
でも、不思議と恐怖心とは裏腹に、何とも言えない解放感も持ち合わせていて、ただただ、微睡むばかり。
で、何の目的も定まらないうちに、3月にはバリ島へエサレンのアドバンスクラスへ参加。
このころには本当に、その先のことを何も考えられなくて、ちょっとしたバケーション的な感覚で参加してた(笑)
日を追うごとに、身体を思いっきり動かすこと、笑うこと、食べることのシンプルな生活をすることが、どれほど自分を自由に豊かに生かせてくれるんだろうか。ということに気づいたときには、本当に何も要らないと心から思えたんですよね。
友人らは、「目覚めたんだね」とか、「本質に出会えたね」とおっしゃってくださったけど、本当のところはわからない。
何かの理由をつけてラベリングすることで安心することさえも、要らなくなっていた(笑)
すべてただ「必要」で起こっているにしか過ぎない。という感覚の方がスッキリする。
自分を呈よく納得させるための理由は、真実を歪めるから要らない。
そうこうしているうちに気づいたのは、私が今まで握っていた「こだわり」って、恐れ、いわゆる強迫観念の塊だった。
「ほにゃららを手放しました!」って左手に握っていたのを放したつもりで、「そのおかげでこれが手に入りました!」って、右手に別のモノを握りしめるという、単に握り返しているだけじゃん!みたいな断捨離ね(笑)
「こだわり」に依存していただけだった。
このころには、「はぁ~、くだらない、つまらない!一体いつまで同じことを繰り返すのよ!」とリトルマサコの声しか聞こえない(笑)
この子を満足させるには何が良いかを探し求めた結果、「何もしない」が一番満足する(笑)
「何もしない」って、無責任でも怠慢な態度でもなく、ただ、ここに存在していること。
私の「ここに存在する」感覚は、愛と自由の中にいながら、しっかりと自分のエゴの声も理解できる状態。
ときに、エゴの声がボディブローのように身体を叩くんだけど、そんな自我を満足させるエゴには動きません!っていう姿勢を静かに貫く。
そこをさらに探究していくと、深く静かな海底にいる感覚になる。
そこでは、パラレルワールドの中にいて、意識は今ここにしっかりとありながら、過去、現在、未来、誰かの目線を通じで、いくつかのビジョンを眺めている自分もいる。
必要な情報やエゴの声を認識しながら、それが果たして誰かの役に立つのかを、あらゆる視点から吟味していると、突然、奥からぐぉー!って動かされる(笑)
その恐ろしいことと言ったら、これまた、おしっこちびっちゃいそうになるwww
「こだわり」を握るって、追う、負い続けることで、それを、成長と勘違いしていた部分も大いにあったと思う。恥ずかしすぎるくらいアホだなー(笑)
「こだわり」が無意味なことではないのだけど、物質至上主義なこだわりの、そのほとんどが要らなかったってこと。
クラニオの施術では「すべて手放したところから始まる」と言われています。
解剖学やらスキルの手順やらを、たくさんの時間とお金をかけて学ぶんだけど、それら知識を一端手放せ!って、なかなかのドMなセラピーです(笑)
ひえー!ってなるんだけど、これらを空っぽにしないと、どうしたって相手を操作したくなっちゃうし、その人が向かいたい方向の邪魔をする。
手放さない方が簡単だからね、施術側は。
反対に、簡単な施術ほど操作性がある。という落とし穴。
だけど、それは何の癒しにも解放や治療にも繋がらないし、むしろその人の「自由意思」を奪いかねない^^
そして、そのほとんどが「いいことをした」と勘違いを起こし、無意識に奪っている。
「こだわり」を手放すことで、それらの理解もより深まった感じ。
よく、人生は玉ねぎの皮むきだ!なんていう言い方するけど、「今ちなみにどれくらい剥けているの?」って尋ねて見せられたビジョンは、茶色い皮が剥けただけで、「そんなものか!」と、これまた衝撃的だった(笑)
この夏の尋常じゃない暑い中、その暑さに負けないくらい、ひとり悶々と自問を繰り返していたある日。
「アバターを見ろ!」って言われて見る。
アバターの美しい世界観をみながら、いくつものビジョンを重ね合わされて見せられて、もう、何が何だかわかんなくなっちゃって、ぐちゃぐちゃに泣きながら覚悟を決めた!
「覚悟を決めた!」なんて言っておきながら、何の覚悟かもよくわかんなくて(笑)
これから全くもって何が起こるのかわからないけど、すべて甘んじて受け入れるという、おっきな器をだけを用意したよ、ビビりながら(笑)
ホント、ビビりなんで(笑)
相手が相手なので、ビビります、本当に・・・
相手にされないかもしれないし。。。と時折弱気になってみたり(笑)
これらを再構築&再統合するためにバリにも行くようだ。と他人事のように書いてみる。ビビってるから(笑)
今の私は、「こだわり」の盾がなくなったことで、とっても無防備で無敵で自由だ。
目指すは、無色透明無味無臭!ピュアとも、クリアとも、丸裸ともいうね。
この夏までの出来事を、つらつらと書いてみただけなので、読みづらくてすみません<(_ _)>
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